人が良い人であるためには

 

にがいつもゆう

 

【罪悪感】

が、やっぱり

ほんとに、大事なんやと

ふと、

しっくり腑に落ちたという話し。

 

 

 

にと一緒になって

新鮮やったのは、

にのご両親という

今まで希が育って見て来たのとは違う

夫婦のモデルを見れたこと。

 

 

母親モデルもそう。

 

 

今までは、自分の母親が

自分の中での【母親】という広辞苑みたいなもんやったけど

 

新たな母親の形が人生にいきなり浮かび上がってきた感じ、、

 

接する機会も多くて、

しかもいっぱい話しをしてくれはるから戸惑うこともあるけど

実は人見知りコミュ障の希には、ありがたいことこの上ない義母で

 

色んな過去の話しから、今の気持ちまで、話してくれはる、、

 

それと息子であるにとか、孫たちとの接し方をみてると

「自分のお母さんやったら、こうするな、、」

って、違いを感じることが多くて

 

違う人間やから当たり前やねんけど

 

 

一緒のところもあって、

何が違うんかなって

 

希のお母さんは、常に希とかお兄ちゃんに対して、ごめんね。もっとこうしてあげれたらいいのに。って

色んな後悔とか、

自分の選択の結果としての諦めからとか

 

総じて、罪悪感があったんやと思う

 

反対に

おんなじように、お義母さんからは、いつも苦労話から育児の話しを聞くけど

【私は当時、キツかったけどやれるだけのことはやってきた】

みたいな裏の気持ちを感じることがあって

「あの子たちには本当に申し訳ない」

みたいな発言はあんまりなくて

(思ってはるけど口にしてないだけかもしれへんけど)

 

 

我慢とか、貧困の度合いでいうと

瀧家の方がひどかったから、相対的にみてもほんまにそうなんやけど

 

それはやっぱり、じいじとの2馬力やったからやと思うし

例えば、じいじが家にお金入れんと借金ばっかり作ってくるような人やったら、また全然違ったと思うねんな

 

 

【頑張って、やれるだけのことはやってきた私】

【私のせいで、子どもらにしんどい思いをさせ続けてきた私】

 

では、

同じ母親でも子どもに対する接し方は全然変わってくるよなぁ、、って

 

 

希のお母さんも、本来は自分の価値観とか正義が正しいと思って生きてきた人やし、それを曲げたら人に合わせたりは出来ひん人やと思うけど

希にそれを押し付けへんのは何かなって思ったら、罪悪感でしかないんやなって

 

昔も今も。

 

 

罪悪感を自ら背負うことは、難しいかもしれへんけど

たとえば

 

自分の身の回りの人を、自分の都合の良いように変えたいと思ったら

人は変えられへんっていう前提のもとに

いかに、その人に罪悪感を抱かせられるかが肝なんかな、と思った

 

 

希自身が、ひとりのオカンとして

今そこまでの罪悪感は子たちにはないけど

だからこそ

子たちの人生を、自分とは違う1人の人として尊重することを常に忘れやんと

干渉しすぎひんように

転ばぬ先の杖をしやんように

めちゃくちゃ気つけとかなアカンねんなって

難しいけど

なんとなく思ったな